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「ポンツーン」2013年11月号(幻冬舎)より

行間から溢れ出る人間の充実感。上質なミステリー作品でもある。

2013/10/29


筆者:関口苑生

世界は今、猛烈な勢いで“マネー”の脅威にさらされている。

利の匂いを嗅ぎつけると、世界中のどこであれ、怒濤のように流れ込み、その国の経済を混乱させ、ついには国家そのものまで破綻させかねない事態に陥らせてしまうのだ。いい例が、バブル崩壊前後の日本だろう。不動産バブルが弾ける気配をいち早く察した外資のハゲタカどもがここぞとばかりに来襲し、わずか数カ月で1,000兆円ものカネをむしり取っていったのである。そこには大義などは微塵もない。ただただむき出しの欲望と、カネへの執着が存在するだけであった。だが、そうした行動を阻止する手立ては何ひとつない。政府も国際機関も歯止めがきかないのである。

本書の主人公、鷲津政彦が最初に登場したのもその頃だ。バブル期に手を出した無謀な財テクの結果、瀕死の状態となってしまった日本の企業を次々と安く買い叩く、ハゲタカファンドのひとりとしてである。しかし、彼の真意は買収することにあるのではなく─と、そのあたりの事情は《ハゲタカ》シリーズの前三作に詳しいけれども、やがて彼は中国の国家ファンドから「一緒に日本を買い叩きませんか」とのオファーが舞い込むほどまでになる。

そんな鷲津がシリーズ四作目となる本書では、“マネー”の総本山たるアメリカに牙を向けるのだった。

2008年9月15日。アメリカの老舗投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻した。世に言うリーマン・ショックである。負債総額およそ6,130億ドル。まさしく史上最大の倒産劇で、これにより世界中が金融危機に陥ったのは記憶に新しい。

物語はその数年前、“市場の守り神”とも呼ばれる全米屈指の投資家サミュエル・ストラスバーグが、大手投資銀行ゴールドバーグ・コールズに勤める知り合いの娘にかけた一本の電話から始まる。それは低所得者層向けの住宅ローンを集めて証券化した、住宅ローン担保証券に関する問い合わせで、実はこのときすでに破綻までの時限装置はスイッチが入る直前にあったのだ。つまりは住宅バブルの崩壊である。これが顕在化したとき、アメリカ経済は壊滅状態になるのは間違いなかった。日本が経験した惨状よりも、はるかに悲惨なことが起きると思われた。

だが、その瞬間こそが勝負時でもあった。鷲津もまた危機の予兆を掴んでおり、来るべきXデーに向けて、ひそかに策を練ることにする。彼の狙いは、混乱に乗じてアメリカが誇る超優良企業アメリカン・ドリーム社を奪取しようというものだった。従業員約25万人。世界120カ国に拠点を持ち、時価総額は約3,000億ドルの巨大企業である。しかもAD社は発明王トマス・エジソンが創業した名門で、アメリカ国民にとって特別な存在といってよかった。そういう企業を買ってしまおうというのである。

当然、鷲津の動きはマークされ、阻止しようとする者たちが出現する。中でも最大の敵はストラスバーグで、彼はFBIなどにも手を回し、強引なやり方で鷲津を脅しにかかるのだった。かくしてここに、壮絶な死闘が始まるのだったが……。

面白い! この面白さをどう譬えればいいか。互いに相手の出方を探り、読み合い、騙し合い、意表をつく形で次の行動に移るところなどは、上質のミステリーを読んでいるような感覚だ。しかも、手掛かりとなり伏線となる描写が、大胆にぽんと投げ出されているのである。それなのに、あとになってそうだったのかと気づかされる始末なのだ。そうした巧さに加え、畳みかけてくる危機の連続が生み出す緊迫感と、修羅場を踏む者たちの充実感が行間からも溢れ出している。小説を読んで嬉しくなるのは、こういうときだ。

俗にアメリカン・ドリームというが、世界中から夢の実現を求めて、数多の挑戦者が機会均等の国アメリカにやってくる。しかし、勤勉と努力だけでは成功はおぼつかない。鷲津は、若い頃に師と仰ぐアメリカ人投資家から「強欲は善だ、強欲こそがアメリカン・ドリームを手に入れる原動力だ」と教えられたという。

しかしながらこの言葉は、一方で、キリスト教の言う《七つの大罪》のひとつとしても知られる。傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲は人間を罪に導く可能性のある欲望と感情で、誓って固く戒めなければならないとするものだ。であるにもかかわらず、アメリカン・ドリームを実現しようとする者にとっては、強欲は罪になるどころか、むしろ善だというのである。ならば、他の六つの罪も善になってしまうのだろうか。

ともあれ、強欲のはてにリーマンは破滅した。・マネー・は、今なお世界中で猛威を振るっている。次にその洗礼を受けるのは再び日本となるかもしれない。大規模な自然災害の後にである。