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『黙示』で描いた、日本の食と農業の未来。正しさとは何か──

2013/02/22

『黙示』刊行記念 真山仁インタビュー

――最新作のターゲットは、「食の安全」と「日本の農業」です。今回、このテーマに取り組んだきっかけは何ですか?

ここ何年か小説のテーマを煮詰めていく時に、考え続けていることがあります。
それは、どうすれば日本が元気になるのだろうかということです。いわゆる「復興」というだけではなく、3・11以前から、この国が新しい活力を取り戻すにはどうしたらいいかを、作家としてのテーマにしたいと思っています。
ただ、「元気になる」といっても、精神論やマインドの面だけでは不十分です。物理的に豊かにならなければ、説得力が薄い。どうしたら、企業が売り上げを伸ばし、産業が活性化し、新しい需要が生まれるのか。その発想が必要です。今の閉塞した状況を変革するために、何が求められているのか。「元気になる」には、どういう視点が必要なのか。そこを小説として描いてみたいと思っていました。
その観点から、自動車やエネルギー問題など、日本の中核産業ともいうべき部分に焦点をあててきましたが、ずっと気になっていたのが「農業と食」の問題でした。農業を産業として再生させるためには、何が必要なのかということです。
それともう一つ、私が忘れてはいけないと思っている視点があります。
それは、常識とされていることを疑ってみるという視点です。
農業に当てはめて言うなら、一般的には農業は、守らなければいけない産業と考えられています。食糧の安定調達のためならどれだけ予算を注ぎ込んでも、です。
しかし、本当に農業は、守らねば立ち行かない「弱い存在」なのだろうか?その前提から疑ってみる必要があるんじゃないか?そう考えて取材を始めたんです。
さらにそこに農業でももう一つ気になっていた「食の安全」についても、真剣に向き合おうと考えたのです。
「食の安全」というと、第一に思い浮かぶのが放射能の問題や、農薬の問題でしょう。消費者にとって、敏感になる問題です。読者も記憶にあるかもしれませんが、数年前も、ミツバチの大量失踪現象と農薬の関係が取りざたされました。一般に使用されている農薬が、ミツバチの中枢神経を狂わせているのではないか、と。私自身も、「ミツバチが消えた夏」(『プライド』所収)という短編小説を書くにあたって、ずいぶん養蜂家に話を聞き、実際に巣箱を買い、ミツバチを育ててみました。
しかし、そうした取材や経験を積み重ねてきても、あらためて「食の安全って何?」と問われると、意外に明快な答えが出しにくい。十人いたら十通りの答えが出てくるかもしれません。つまり、深刻な問題のわりには「食の安全」は、曖昧なのです。
日本人の思考の弱点かもしれませんが、言葉のイメージだけが先行して、中身をきちんと知らないということが生じやすい。重要な問題だからこそ、きちんと取材して取り組むべきだと思いました。
曖昧な「食の安全」と、弱者だと言われている「農業」。この二つを物語のなかに組み込んで展開したら、想像もしていなかったような現実が見えてくるかもしれない。最先端の情報を取材していくことで、現在進行形の危機が露わになり、その一歩先の来るべき未来も描けるかもしれない。小説家として、挑戦し甲斐があると思ったのです。

――今回の小説は、農薬を散布していたラジコンヘリが小学生の集団に墜落し、農薬を浴びた少年が意識不明になるというショッキングな場面から始まります。

いたずらに衝撃的に描いたわけじゃなくて、「見えないリスク」を顕在化させるために必要なエピソードでした。
私たちの生活は、実は危険だらけなのですが、事故でも起きないと気付かない。そうしたリスクは、安全基準を徹底することで抑えられていますが、絶対ではない。
農薬の問題も同様で、残留農薬の検査は厳しい数値基準を設け、クリアしたものは大丈夫なはずというルールでやっていますが、農薬が有毒であることは変わらない。
不測の事態が起きれば、日々の安全は吹き飛んでしまう。大丈夫なはずという「安全神話」が根本から揺らいでしまう。日本人は、この二年でそこに気づかされたと思うんです。小説のなかでも、主人公の一人が、「農薬の恐怖は、放射能以上だと言っていいんじゃないか」と発言する。
しかし一方で、安価で高品質な大量の食料を、欲しいときに欲しいだけ買えるようにするには、工業生産物のように安定供給する必要がある。そのためには、化学肥料や農薬は不可欠なのです。
今の食料供給を維持しながら、農薬を使わない社会が成り立つのか? それが可能ならいいのですが、難しいでしょう。
これは、原発をなくして、今の社会を維持していけるのか、という議論とも重なってきます。
便利で豊かな生活は維持したいけど、怖いのはイヤ。むしろ現実を知らないほうが幸せ……。そんな心情が見え隠れしているようにも思う。でも、それで本当にいいのでしょうか。
いずれにしても、自分たちはかなり危うい社会に生きている。それを自覚したほうがいいんじゃないか。見えないリスクや真の危機を知ったうえで、農薬や食の安全を考えていきたいと思ったのです。
とはいっても、理屈っぽい話になっては、物語にならない。ごく普通のサラリーマンや若い世代が、否応なく巻き込まれていく……。そんなストーリーをしっかり描くことにも、心血を注ぎました。

――確かにスーパーヒーローは一人もいません。

今回は、強烈なキャラクターで物語を展開するのではなく、ごく一般的な生活感のある人間が必要でした。
一人は農薬メーカーの技術開発者の平井。皮肉なことに、彼の息子が農薬を浴びてしまい、意識不明になってしまう。このとき彼は何を考えるのか……。もう一人は、ミツバチの集団失踪現象をきっかけに、農薬の危険性に強い関心を抱いている養蜂家の代田。彼は、思わぬ成り行きから、食の安全と農薬の問題に巻き込まれていく。そして、三人目は、農水省で農産物輸出のビジネス戦略を命じられる女性キャリアの秋田です。「弱い」と言われる農業を何とか強くすべく、若手官僚の端くれとして奔走する。
この三人が、それぞれの立場から食の安全と農業の問題に関わっていきます。
登場人物たちの理想と現実、矛盾と葛藤。そこに組織と個人の軋轢や、予想外の事件、政治家の思惑を絡めつつ、今を生きる人間を書きたいと思いました。
農薬が是か非かという単純な問題ではないし、農業の専門的な話でもありません。食の問題なので、高尚な話にはせず、あえて個人の生活が垣間見えるようにしました。

――農業の取材を始めて実感として分かってきたことは何ですか?

まず、気づいたのは、農業は「衰退産業ではない」ということでした。
若手からベテランまで何人もの農家に話を聞き、農業ビジネスを手がけている実業家にも会いましたが、決して農家=守られるべき存在とばかりは言えないことが見えてきました。
例えば、香港の市場に野菜を輸出している農家があるんですが、日本のキャベツは驚いたことに、1個1000円で売られているそうです。日本で売っているのと同じものがです。キャベツだけじゃありません。リンゴやイチゴなどの果物も、大変な人気です。
日本の野菜や果物が、なぜこんなに人気なのか。理由は二つあります。
一つは、香港はもともと農耕地が少なく、農産物を主に中国から輸入していたこと。そして二つ目は、日本の農産物は安全だからです。
農業の強みというと、まず「味のよさ」を思い浮かべるかもしれませんが、実はこれはほとんど嗜好の問題なんですね。
確かに、日本の野菜や果物は美味しく、リンゴなども信じられないほど甘いといわれています。しかし、最も競争力があって強いのは、「安全性」です。アジアの高所得者層にとっては、安全性にそれなりの値段を払うことは当たり前なんですね。だから、自国の「危ない」野菜よりも、日本の農産物を買うわけです。
ところが、日本の消費者は、安全をタダだと思いがちです。安全のプライスが非常に低いと言ってもいい。そこが海外の消費者と違うところです。
取材では、積極的に農産物を輸出したいと考えている農業者にも会いました。そういう人たちは、「自分たちは守ってもらう必要はない」「もっと気楽に輸出させてほしい」と思っている。あるコメ農家は、「自分が作ったコメや野菜を世界基準で評価されたい」と言っていました。彼らに、農家としての強い誇りを感じました。
輸出先は、中国、ベトナム、インドネシア、タイといったアジア市場が中心です。TPPに反対どころか、目の前の巨大マーケットに早く参入したいと考えている。取材しながら、新鮮な驚きがありました。

――最後に、読者の皆さんに、メッセージをお願いします。

『黙示』のもう一つの大切なテーマは、「正しさとは何か」という問いかけです。
複雑で先が見えにくい時代を生きるのは、なかなか大変です。つい、安直に物事を単純化したり、メディアやネット上の意見を鵜呑みしがちです。だからこそ、つい自分の判断や行動を正当化したくなります。
でも、その判断は本当に正しいのか。
あるいは、世間が言っている〝正しさ〟とは何なのかを、私たちはもう少し見極める必要があるのではないでしょうか。
作品の中で登場人物が、それぞれの立場から〝正しさ〟を主張します。でも、それは時に滑稽であったり、納得したり、反感を覚えたり、共感したり、と様々な印象を持たれるのではと思います。立場が変われば、その価値観も揺れていきます。
現代社会は、そういう微妙なバランスの中にあると思います。それを小説という、少し実生活から距離を置いた世界で味わっていただくことで、生きるヒントを見つけてもらえれば、とても幸せです。

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