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「パピルス」2016年4月号(幻冬舎)より

それでも生きるしかない。進化した真山仁の傑作

2016/02/28


筆者:関口苑生

芥川龍之介の「小説作法十則」のひとつに、
「小説家的才能は詩人的才能、歴史家的乃至伝記作者的才能、処世的才能の三者に帰着すべし」
という項目がある。何とも奥深く、かつまた言い得て妙なる指摘で、わたしはいまでも気になる作家が現れるたびにこの言葉を思い出す。

真山仁もそんなひとりだった。〈ハゲタカ〉シリーズに代表される経済と金融の物語は、実に実に刺激的で、新鮮で、時間と仕事を忘れて読みふけったものだった。この作家ちょっと凄いぞ、とマジで思ったのを覚えている。だがその後、次々と発表される新作を読むにつれ、どんどんと驚く羽目になる。簡単に言ってしまえば、この作家の懐の深さにである。

彼が描くテーマは経済に限らず、環境問題、政治家と官僚の問題、さらには財界との癒着や腐敗の実情など、日本のみならず、いま世界中で現実に迫りつつある問題へと次第に広がっていく。それは真山仁が敬愛してやまない不撓不屈の作家、山崎豊子の仕事ぶりを彷彿させたものだった。だが、彼はそこからもっと飛躍しよう、先人たちに負けない面白い小説を、衝撃的な小説を、読者の心に訴えかける小説を書こうと己に誓い、走り始める。

そして作家デビューから十年。滾る思いを実現させたのが『そして、星の輝く夜がくる』であった。東日本大震災後、被災地の小学校へ応援教師として派遣された教師と生徒たちの交流を描いたこの作品は、真山仁にとって一大勝負作であった。ここで彼は、文章に表現を託す芸術――文芸の力、言葉の力を信じ、ノンフィクションでは絶対に描き得ない「物語」を紡いでみせたのだ。

これを詩人的才能の開花と結晶化と言ったら、失礼にあたるだろうか。ともあれ、真山仁はこの作品を世に問うたことで、小説家として新たな段階に突入したように思う。

本書『海は見えるか』は、その続編となる連作短篇集である。舞台も同じ遠間市立第一小学校の生徒と教師を中心に描かれる。前作で担任だった六年生を巣立たせ、派遣の期間も終了となる教師・小野寺徹平が、この先どうするか悩むのが物語の発端だ。神戸に戻るか、それとも第二の故郷となった遠間に残るか、逡巡していた小野寺の気持ちを動かしたのは、やはり子供たちだった。震災で無気力になり、生活能力すらなくした大人たちを励まさなければと、元気に振る舞って、絶望しかない日々を支えようとする子供の健気な姿を見てきた小野寺の心に、再び熱い灯がともったのだ。どんな試練にも困難にも正面から立ち向かい、決して逃げない。そんな小野寺の思いは、同時にまた真山仁自身の決意でもあったろう。

収録作は七篇。今回も容易に結論の出ない震災後の諸問題が彼らを襲う。子供たちを突如激烈なパニック状態に陥れるPTSD(心的外傷後ストレス障害)、遠く離れた地域への移住、遺体の洗浄をし続け自殺した自衛隊員との友情、医療支援の一環として行われるDNA検査、地元住民の意志をおよそ無視したような高圧的な復興計画……真山仁は、これらの問題に対して作中で解答めいたことは一切示さない。すべてを読む人に委ねている。たとえば巨大な防潮堤の建設にしても、現実社会では女川のように海が見える町を目指すと住民が拒否した例もあるが、そうした是非論のたぐいもあえて書かない。登場人物たちがそれぞれの意見を闘わせ、議論を交わす様子を誠実に描くのみである。その真意は何があっても時間は過ぎてゆくし、日常は続いていく。教訓を学ぼうが学ぶまいが、人は明日に向かって生きていくしかないとの覚悟であったに違いない。ここには進化した真山仁の命が詰まっている。それほどの傑作だ。